【はじめに】
震災から7年目を迎える2018年3月11日、7回目となる、自立支援シンポジウムを開催いたしました。
初めに、東北から、ご家族の大事なご命日にもかかわらず万難を排してご参加くださり、
東北を代表するかのように "Thank you" を言って下さった武山郁夫さんや米沢祐一さんご一家、
そして佐藤寛哉君には心から感謝申し上げます。
演者の一人、武山さんは、地元の方々と2016年度にオランダ式水耕栽培施設の共同運営を立ち上げ、希望に向かって歩まれております。
その武山さんより、シンポジウムの参加者に「東北からありがとう」のスピリットから、施設で栽培したトマトとパプリカを参加者全員にプレゼントして戴きました。
武山さんありがとうございました!
また、皆様からたくさんのご寄附を戴きましたこと、御礼申し上げます。
シンポジウムの前半は東北からいらして下さった方から個別にお話を聞かせて戴き、後半はパネルディスカッションを行いました。
会場からもご質問やご意見などを通してご参加いただき、ご協力に感謝いたします。
会場は慶應義塾大学 三田キャンパス内の南館ディスタンスラーニング室で、同校の大学院法務研究科 教授Davi G.Litt(リット ディビット ジェフリー)先生のお取り計らいにより、
会場を使用させて戴けることとなりました。先生には準備から当日の会場設営まで様々なご支援を戴き、一同厚く御礼申し上げます。
【次に、各講演の様子をご紹介させていただきます。】
(米沢祐一(よねざわゆういち)さん 陸前高田市)
2011年3月11日の震災当日、米沢さんは鉄筋3階建てのご自身のビルの屋上に避難しましたが、
そこにも津波が到達し、最後は煙突部分に登って九死に一生を得られた方です。
悲惨な話ですが、陸前高田市が指定した避難所の市民センターに避難した大勢の方達が津波の犠牲者になりました。
その中に、ご両親と弟さんがおられたのです。シンポジウムには、7年前の3月11日に着用していたジャンパー姿で参加され、
ご自身が避難時に撮影した衝撃的な津波の映像を初めて公開戴きました。
この酷い津波を目前に撮影されていた米沢さんの冷静沈着さに感嘆するとともに、津波の恐ろしさ、その中に入ったらとても助からないことを実感しました。
米沢さんは、市からビルの買い取りを要請されながらも、街に震災の足跡を残す施設が何も無くなってしまうことに疑問を持ち、
ご自身が助かった建物を震災遺構として残す決意をされています。震災後数年は無税だった様ですが、
その後米沢さんには年間60万円の固定資産税が課せられているとか、大いなる疑問を感じます。
米沢さんは、震災後に、ボランティアとして助けて下さった人々への恩返しの気持ちで、これまで約3500人の見学者を受け入れ、
ご自身のビルで自らの被災体験を説明されてきています
私共としては陸前高田市には固定資産税は免除して戴くだけでなく、今後ますます市を訪れる方達にとっては、
米澤さんの建物は、失礼な表現かもしれませんが、非常に大事な観光資源になるはずですから、大きなご支援を米沢さんご一家にお願いしたいと思います。
(武山郁夫(たけやまいくお)さん 石巻市)
武山さんは震災当時、仕事の関係でご家族と離れて静岡におられましたが、大川地区にお住まいだったお母様、奥様、
そしてお嬢様の3人が車で逃げ出している途中、津波に巻き込まれて亡くなられました。
震災直後に大川地区に戻られ、自ら重機を使って多くのご遺体の捜索をされましたが、そうした悲痛な体験を通したエピソードをお話くださいました。
生きている意味も失い、一時は自殺も考えられたそうで、その当時のインタビュー映像も出席者の皆様にご覧いただきましたが、
今では、そういった苦難を見事に乗り越えられ、まさに自力で立ち上がり、希望に向かって歩まれていることは、"武山さん、頑張って!" と叫びたい気持ちです。
最近では、北海道で離れて暮らすご子息が結婚され、お嫁さんから「お父さん」と呼ばれた時、
家族が増えたことを心の底から喜ばれたようで、笑顔を交えながらはにかんでお話されていたご様子が印象的でした。
(佐藤寛哉(さとうひろや)さん 石巻市)
(中村浩行(なかむらひろゆき)さん 大船渡市)
石巻の仮設住宅で暮らしていた佐藤寛哉さんは、震災から数年経過し、世間の関心が薄くなっていく中、
当財団が「ともだちカレー」イベントを開催した際に親しくなり、その後もイベント開催の際には必ず駆けつけてくれる関係となりました。
3月10日に中学校を卒業し、そのまま今回のシンポジウムに来てくれたのですが、堂々としたスピーチに参加した皆様が、東北の明るい未来を確信できたのではないでしょうか。
東北の海岸線沿いに景色を覆い尽くすほどの巨大な堤防が建設されたことについて、出席者から意見を求められた際にも、
住民の意思を無視してそのような設備を建設することに果たして意味があるのか、という疑問を投げかけ、自分の言葉でしっかりと意見を述べられていたことに一同感激しました。
中村浩行さんは、震災時に障害者の自立支援を行う施設にて働いておられましたが、高台へ避難した状況や、その後の対応等お話しいただきました。
震災のご経験から福祉避難所を立ち上げられ、現在は、グループ内の児童養護施設にて活躍されています。
(パネルディスカッションの様子)
(ビル・ルイスさん 奥州市)
昭和63年に来日したビル・ルイスさんは、高校の英語講師以外にインターナショナルILCサポート委員会の活動をされていて、
奥州市国際交流協会と協働しながら、ILCプロジェクトの実現に努力されています。実現すると、東北にやってくる外国人研究者や技術者、
その家族のニーズを行政や民間団体、企業に届ける仕事は益々重要になることでしょう。
私共でもILCが東北にとっていかに大事なプロジェクトかよく理解していますので、是非実現して戴きたいものです。
(菅原正義(すがわらまさよし)さん 平泉町)
(佐藤良規(さとうりょうき)さん 一関市)
前平泉町町長である菅原さんは震災直後から一関市、藤沢町と合同の支援本部を設置して車両や大量の水、食料提供や職員派遣、
避難者の受け入れなどで陸前高田市を支援されてきた為に特別な想いもあったそうで、
私たちが、被災者の方々のために最前線で尽力して下さった役所の方達にも感謝の気持ちをお届けしたいとの思いで、
陸前高田市役所へカレーの提供をした際には、活動趣旨に大いに賛同してくださり、公務の合間に昼前から現場へ入ってお手伝いをして戴きました。
現在、菅原さんは我々の活動における大事な存在となられ、奥様とご一緒に毎回支援活動をお手伝い戴いております。菅原さん、奥様、ありがとうございます。
佐藤良規さんは一ノ関藤沢町の住職で、津波被害は無かったのですが、ご本人は釜石から一ノ関に帰る際に津波に遭遇し、奇跡的に生き延びることができたそうです。
お坊さんとして被災者の心のケアをすべく、話を聞く活動に力を入れておられ、現在は、子ども支援NPO「はまわらす」を通じて活動をされているそうで、
その活動内容もご紹介いただきました。子ども達が 地域の「自然」「人」「暮らし」に関わり、その中で子ども達が本来もっている 「生きる力」が引き出され、
たくましく育っていく。そのための自然体験活動を行っているそうです。
(会場から)
【特別音楽プログラム】
前川健生(まえかわけんしょう)さん (テノール)
赤松美紀(あかまつみき)さん (ピアノ)
富永美樹(とみながみき)さん (ソプラノ)
渡辺純子(わたなべじゅんこ)さん (ピアノ)
会の最後に特別音楽プログラムに参加して下さったお二方ですが、テノール歌手の前川さんは二季会で活躍中です。
ご自身僧侶の資格をお持ちですが、音楽も祈りと考えておられ、音楽を通じて人々に明日への活力を持ち、自身と向き合って欲しいとのことから、
今回のプログラムに参加して下さいました。
ソプラノ歌手の富永さんは、慶応大学ご出身で、10年間の銀行勤務をしていた際に趣味で歌を学んでおられ、
佐多代表の友人である木下尚慈氏の特別なお計らいでピアノの渡辺さんとお二人で駆けつけてくださいました。
富永さんは、2001年9月11日の同時多発テロがあった際に、世界貿易センタービルの80階に勤務していて奇跡的に助かったご主人の経験から、
人生は何があるかわからない、日々を大切にして生きて行きましょうと、今回のイベント趣旨にも賛同いただいてのご参加となりました。
多くの皆様のおかげで、素晴らしい会となりました。ありがとうございました。