2022.06.27 11:59
福島、石巻、陸前高田訪問記(6/14 2022 千厩国際倶楽部)
6月14日に東京から岩手県に向けて出発しましたが、途中で3ヶ所の訪問をして交流を深めました。
1. 福島県 福島県鮫川村 「知足庵」訪問
代表理事がご友人からの紹介でお知り合いになった金澤弘子さんを福島県中通り区に訪問しました。海外からの宿泊者も多いそうですが、我々と一緒に訪問した外国人3名も熱心に金澤さんのお話に耳を傾けました。
パンフレットには「原発被災による不条理極まりない苦しみを真正面から引き受け、それを捧げものすることにより、 この地が全人類の一人一人の回心を呼び醒ますこと願い信じて設立する 癒し 祈り 黙想 瞑想 回心の家です。東洋のテゼを目指します。」 とありましたが、震災後に築100年の古民家を譲り受け、地元の大工さんの協力で現在の立派な姿に改築されました。
祈りの部屋、宿泊部屋、屋根裏の広い部屋など工夫して空間を上手に活用されています。桧の風呂や、イスに腰掛けて使いやすい素敵な囲炉裏など訪れた方が魅力を感じる建物です。
金澤さんには抹茶をご馳走になり、長距離移動の疲れを癒して下さいました。また、偶然にも施設の改修に携わった棟梁のご訪問があり、 ご親切にご自身の牧場の案内を我々に提案して下さいましたが、時間の都合で辞退させて戴きましたので、いつか将来訪問したいものです。
我々を歓迎して下さった金澤様に心から感謝申し上げます。
2. 宮城県石巻市 「石巻市震災遺構大川小学校」訪問
2011年3月11日の東日本大震災の津波により、大川小学校の児童・教職員84名、大川地区全体で418名の方々が犠牲となりました。
犠牲者の慰霊・追悼の場とするとともに、震災被害の事実や、学校における事前防災と避難の重要性を伝えていくことを目的に2021年7月に 「石巻市震災遺構大川小学校」として一般公開が開始し、周辺施設も整備がされたので訪問しました。エンゼル像にもきれいな、しっかりした土台が与えられ、うれしく思います。
敷地内には、震災前後の写真等のパネルや地域模型、実物資料を展示する展示室のある大川震災伝承館が新設されていましたが、 被害を受けた小学校の建物はそのままの形で残されており、それぞれの建物前には説明パネルが設置されて英語での説明も加わっていましたので、 世界各地からこの地を訪れる人たちの記憶に残る事でしょう。
エンゼル像を寄贈する際にご尽力いただいた武山郁夫さんは、2016年度にオランダ式水耕栽培施設の共同運営を開始し、 2021年5月には、新たな生産施設を大川小学校跡地の隣に整備し、トマトの出荷が本格的に始まっています。災害危険区域に指定された被災跡地を活用し、 敷地面積約4ヘクタールで、大型ガラスハウスでトマトを約0・7ヘクタール、ミニトマトを約0・6ヘクタール、パプリカを約0・9ヘクタールで栽培されています。
連帯東北・西南スタッフ一同 武山さんのご健勝ご活躍をお祈りしています。
3. 岩手県陸前高田市 「旧米沢商店ビル」訪問
米沢商会代表取締役の米沢祐一さんは2011年3月11日の震災当日まで、陸前高田市中心部で包装用品店を営んでおられました。 震災当日、米沢さんは鉄筋3階建てビルの屋上に避難しましたが、そこにも津波が到達し、最後は煙突部分に登って九死に一生を得ました。 すぐ隣にあった避難所に逃げたご両親と弟さんが帰らぬ人となってしまいました。
被災地域では、心情的な問題もあって被害にあった建物や船などを残さない方向に進んでいますが、 米沢さんはご自身が津波被害から九死に一生を得た建物を命の恩人と考え(自費で)後世の為に残すことを決め、ご家族の理解と協力を得て多くの人達に震災を語り継いでいます。
ご自身が助かった建物の煙突に「津波到達水位」を示す看板を設置されましたが、震災を風化させず、 次に津波が来たときには誰にも死んで欲しくないとの願いが込められております。奇跡的に生き残った自分が出来ることは、 一日一日を全力で生き、悔いが残らぬようにすることと、人と交わした約束は絶対に守るようにつらぬくのだと言われています。
陸前高田の街全体が8メートル嵩上げされて、新しい生活が始まっていますが、米沢さんの建物は嵩上げ対象区域から外れており、建物を残すことができたそうです。
連帯東北・西南スタッフ一同 米沢さんのご健勝とご活躍をお祈りしています。
カテゴリ:Staffレポート
2022年06月27日 11:59 admin